自由意志とアカシックレコードの関係

※ 今回の記事は、先日紹介した
「集合意識と根元意識の違いとは?」の続きです。
その記事はこちら>>

そちらの記事を確認のうえ
当記事をお読みなると分かりやすいと思います。

そうなると、
アカシックレコードとは何だろうか?
ということになる。

 

要は「個人、世界、宇宙に関するこれまでと、
これからの情報が記録されているエネルギー」
ということになる。

 

じゃあ、これは
集団意識と根元意識のどちらに属しているのだろうか?

単体なのだろうか?
もっと大切なことは、
アカシックの価値とは何だろうか?

 

実は、そのどちらにも属している。
もう少し解説すると、

根元意識と集団意識の「中間」にあるという感じで、
個々人の過去と今の記憶・想念が集合意識を形成し、

それがアカシックといわれる
情報エネルギーに吸収される。

 

よって「大は小を兼ねる」ではないが、
アカシックを読めれば集団意識もわかる。

そして、根元意識(魂エネルギー単体)は、
アカシックに情報を提供している。

というか、アカシックが
魂の情報を吸収している感じだね。

よって「中間」にあり、
上(魂界)と下(現実界・人間)とを繋ぐ
情報エネルギーということになる。

 

忘れていけないのは、そのアカシックを
「存在させている要因は何か?」だ。
それが根元意識というわけだ。

ここでのキーは、それはあくまでも
「情報」のエネルギーであるという点で、
「何かを生み出すエネルギーではない」こと。

 

たとえば、アカシックには
個人や社会、世界、宇宙の「未来の情報」
があると言われているし、
たしかに「ある」のだが、

その未来の情報とは、
「過去」と「今」から想定できる
あらゆる可能性であって、

無数にある可能性の
「どれを読んでいるのか?」は、
なかなか分からない。

ここが価値でもあり弱点でもある。

 

何が言いたいのか?と言うと、
【当人の決定が可能性を決めていくのであって、
 可能性が個人の未来を決定するわけではない】ということ。

 

あくまでも「自分はどうしたいのか?」がすべてなんだ。
わかるかな?この重大性が。

可能性は「可能性」でしかなく、
そのどれを実現したいのか?は自分次第であり、
よって、アカシックだの未来だのが分からなくても
人間は決めたことを実行することで現実を決めていける。

 

だから、スピリチュアルを知らなくても結果は出せるんだ。

わしはアカシックの優劣や真偽は何も問わないが、
(スピリチュアル関連では何でもそうだが)

「それでどうしたいのか?」が重要になる。
情報を知れた。
で、どうしたいの?

占いで未来が垣間見えた。
で、どうしたいの?

 

そしてもっと大切なことは、
「どうしたいのか?は自分が決められるし」
「それを継続的に自分が享受できる」というのが
人間の最大の武器になること。

こっちでは想念が瞬時にイメージ化するが、
「実体ではない」から、
テレビで紹介される美味しいグルメを
画面を通して見ているだけみたいなもので。

それを体感できることこそ生まれた価値だから、
体験したいことがあったら
制限せずになんでも捉えていけばいいんだ。

 

ということで、
スピリチュアルが自分を束縛するようになったら、
「自分を優先してほしい」ということ。

こっちにくれば嫌でも

「スピリチュアル」はわかる。
経験を大切にしてほしいんだ。