以前の私は、「とにかく音楽で成功したい!」という理想があり、
その理想にはコダワリがありました。
なぜなら「自分の理想にはトコトンこだわれ」というのが
当時の成功哲学の教えだったからです。
でも、何も結果は出ませんでした。
誰にでも理想はあります。そして、
理想を実現したいと思います。
ところが「理想を実現できない…、
なぜ…?
どうして!?」
という葛藤も出てきます。
この「実現できる理想」と、
「実現できない理想」の違いとは何なのでしょうか?
それは信念の問題でしょうか?
やり方や方法論の問題なのでしょうか?
当時おじいに言われたことを紹介します。
タイチの場合は単純で、まず「方法論」を間違えた。
理想にこだわっていながら、
やり方・考え方などは自己流に明け暮れ、
他者の意見やアドバイスも聞かなかった。
そこにスピリチュアル的な深い意味はない。
そもそも、理想というのは「自分サイド」の話なのだが、
それは他者(社会)の反応で実現できるものだよね。
たとえ「自分の理想はコレだ!」と言っても、
それをまわりが受け止めてくれなければ形にはならない。
(趣味レベルで実現できる理想なら話しは別だが)
要は、理想に何かしらの「貢献意識」があるか・ないか、だ。
単なる自己満足だけの理想を実現するのは相当難しいよ。
世間は他人の理想よりも自分の理想が大切だからね。
ということは、誰かの理想を実現することに
貢献しなければ反応は起こらない。
それが自己啓発でいわれる黄金律(ゴールデンルール)であり、
「まず与えなさい」ということ。
お金の使い方だって同じだよね。
「お金の流れに乗ることが大切」ということは知っていると思うが、
自己満足のためだけにお金を使っても、
それはお金の流れを作ることにはならない。
どんなに「投資のためにお金を使った」と思っていても、
たとえば、音楽で成功するための投資だとしても、
その使い道が「手に入って嬉しい」という満足感ならば、
ガムや飴を買って、食べて・終わりというのと同じで、
金額や規模の問題ではないわけだ。
理想を叶えたいなら、
誰に・何を・どんな価値として提供できるか?を、考えないといけない。
「理想が叶わないな」と思うなら、
まずそこを考えるだけでもコトの展開は大きく変わるよ。
理想そのものにコダワルのではなく、
自分の理想を実現することで
他者にどんな効果や影響を与えられるかを考える。
そこにコダワッてごらん。
それが本当のコダワリだよ。