なぜ人間力をあげる必要があるのか?

おじいはスピリチュアルなことを色々と教えてくれましたが、
結論としては「人間力を上げること」をいつも指摘します。

「人間力を上げること」とは、
分かりやすくいえば「安心感があるかどうか?」ということですが、
なぜこれがスピリチュアルにおける結論の1つになるのでしょうか?


結論から言えば、
神様は人間力や魅力の向上までヘルプはしてくれない。
それをするのは当人だから。

仮に神様が助けてくれたとしてもだよ、
当の本人が人間力(信頼力)がなかったら何も発展は起こらないし、

どんなに信仰心(信念)があっても、
現実的な恩恵を取りこぼすか否かは
信仰(信念)の問題ではなく、その人の「人間性」になる。


スピリチュアルに「精神的安心」を求めているなら、
それは「自己完結」に類する話だから
「人間力を上げる」というのはとくに必要ではないと思う。

もちろん、それが「間違っている」という話ではないよ。
スピリチュアルに何を求めているのか?という目的は個人個人で違うからね。

でも「何かしらの理想を達成するツール」として
スピリチュアルに関心があるなら、

現実的落とし込みは「人間力を上げること」以外にないと思っている。
だって、そっち(現実世界)は「社会」であり、感情社会であり、

つまりは人間関係がキーだから。
でも、肝心なところで「神様にお願いしようね」とか
「引き寄せようね」となってしまうと(それが好きならいいのだけど)、
「じゃあどうしたらいいわけ?」という疑問領域からは抜け出せない。

何が言いたいのか?というと、
「原因と結果の法則」の「原因」と「結果」のどちらをも、
スピリチュアル領域・観念に置いていたら、
なにも現実化しないということ。

要は、向こうにある(エネルギー的)可能性を
そっち(現実世界)で形にしたいわけで、

その境界線に存在しているのが人間(当人)である以上、
当人が「すべてのフィルター」になる。

そしてさっきも言ったように、
「社会」という現場で生きているならば、
人間力の変化・向上に努めたほうがチャンスを呼び込みやすいというわけ。

わかるかな?


人間には自由意志があるから、
自分のパワーや魅力をどうするか?は自分で決められるし、
そこは神様の領域ではないんだよね。

だから、言動の質は大切になってくるんだ。
その「言動の質の向上」にスピリチュアルや自己啓発が有効なら、
それはとても良いことだと思う。

ま、難しいことじゃなくて、
どんなに頭が良くても付き合いづらい人よりかは、

円滑なコミュニケーションがとれる人や
安心感がある人を選ぶのが人間の心情だよね。

安心感は弱さじゃなく「強さ」だし、
「おとなしい」「自己主張しない」「学歴がない」とか関係ないんだ。

だから成功者にはそういう人が多いんだと思うよ。