記憶の保管場所

記憶というのは不思議なものです。

過去の記憶を思い出して元気をもらえることもあれば、
哀しみをブリ返したり、
悔しさを再発見するといった具合です。

おじいは「記憶」について興味深いことを伝えます。


人間の記憶は「物質」だから、
不可視なもの(アカシックといったスピリチュアル的な領域)や
神経系などに蓄積されるものではない。

昔は、記憶は脳内のシナプスに蓄積されると言われていたけど、
「認知症になっても記憶がある」ということは
脳内の神経系ではなく「他のどこか」に蓄積されていることになる。


結論から言えば(既知の言葉で言えば)、
記憶は「魂」に蓄積される。

もう少し現実的に言えば「DNA」に記憶される。
つまり、「エネルギーの媒体」と
「物質的な媒体」の中間に蓄積されるんだ。

そうなると「アカシックレコードって何か?」という話に関心がいくが、
アカシックは記憶ではなく
「情報エネルギーの集積場所」であって記憶のそれではない。

なぜこんなことを言うかというと、
「記憶が身体を作る」ことを知ることで、
自分が常に考えていることが身体を作るという実感が持てるんだ。

そもそも「記憶」って、体験への印象であり、
自分なりの「意味づけ」で成立する。

どんな現実や経験にも「良い・悪い」はなくて、
その経験にネガティブな意味づけをしたら「ネガティブな記憶」として、
ポジティブな意味づけをしたら「ポジティブな記憶」として残り、

それが「事実」として記憶される。
でも、その記憶って「自分の意味づけ次第」だよね。

ここがポイントで、
過去の体験や経験への間違った意味づけを変えたり価値を見出せたら、
身体も記憶も好転できるということなので、
人生経験の落とし込みはとても大切になるんだ。

不思議なもので、なんであれ
「あの時あんなことがあったから」今の自分が在るわけで、

たとえその経験が悪かったものだったとしても、
その経験がなかったら「まったく違う人生」をおくることになるわけだが、
未知数の人生のほうが「今よりも良いものだ」とは誰にも言えない。
それよりも「今から今後どうしたいか?」だよね。

だから一度、
過去の経験への印象を一度フラットにして考えてみると運も良くなるよ。