夫婦仲を維持するには?

「魂の掟:原本」では幾つものトピックが扱われましたが、
その中でイチバン反響が大きかったのが「不倫は是か?非か?」という記事で、
魂論的に見た場合の見解を紹介したこの記事が当時のブログでも最大のアクセス数になりました。

その内容については原本をご覧頂くとして、
カウンセリングで承るご質問でも多いのが「夫婦」についてです。


「離婚しようかどうしようか?」というお悩みは多々あるかもしれませんし、
スピリチュアルでは「夫婦は魂の学びの仲」と言われますが、
だからと言ってすべてを魂の学びとしたら何も解決できない現実もあります。

そもそも「夫婦は魂の学びの仲」とはどういうことなのでしょうか?


離婚が良いのか悪いのか?と言えば、魂論的には決して悪いわけじゃない。
それで問題を根本的に解決して人生が快方することだってあるわけだし。

わしが常に思うのは、(魂的なことはいったん抜きにして)
暴力・ギャンブル・異性の3つにまつわる問題は、
よっぽどのコトがない限り(当人は)改善しないということ。

だから、それらに対して我慢できるのか?できないのか?どこまで信じるのか?
という限界と時間的な観点で判断するのが現実的だと思っている。


もちろん、子どもがいたりすれば我慢しなければいけないという
「背に腹は変えられぬ事情」もあるだろうが、
だからといって生涯我慢する必要もないわけで。


夫婦仲についてだが、(魂論的に言えば)
結婚してもそれは「ふたりの人生」ではなく、あくまでも「自分の人生」であり、

自分の人生を「自分」が生きる権利を持っている各々が
「一緒に生きていく」ということが基本になる。

子どもが生まれれば「一緒に育てる」という責任がある。
でも、人生は個人のものだ(親子関係は違うが)。


だから、お互いで価値観も人生観も違うし、
どちらかのそれが正しい・間違っているという話でもないわけで、

「一緒に生きていく」うえで、
どういう落とし所が良いのかは、話し合って決める必要はあるよね。

でも、肝心なそれを話し合わないことが多いように思える。
もちろん「ま、いいか…」と流さないといけないこともあるが、
核心的なことを「ま、いいか」で流していたら、それは必ず問題として表面化するから、
気になることはしっかり話合わないと。

ということで、コミュニケーションが大切で、秘訣はそれしかないとも思っている。


そして(さっき言った3つの点は無視できない問題だけど)、
それ以外の問題って価値観や人生観の違いがほとんどで、
自分の基準に「合わせよう」とするのが争いの原因になるんだ。

だったら、物事が良くなる・進展するといった
「発展性がある」ほうを尊重し合うのがポジティブな判断基準だと思うし、
第三者に相談するのも有りだ。


こういったことを昔から「妥協する」と言ってきたが、
わしは妥協よりも「尊重し合う」とか「ゆずり合う」という表現が好きだな。

ここだけの話だが、わしの嫁にはずっと愛人がいたし、わしもそれは知っていた。
でも「止めろ」とは言わなかったし、「じゃあ わしもそうしよう」とも思わなかった。

なぜか? お互いの仲が悪くなるわけではなく、家庭も円満で、夫婦仲も良かったし、
嫁には嫁なりの、わしにはわしなりの価値観や人生観の話だから、
「問題がなく、かつ自分の人生を生きているなら」それで良しだったわけだ。


これはあくまでもわしらの話であって皆がそうすべきだとは思わない。
妥協する・慎重する・ゆずり合うにしても、「発展性があることに貢献するのか?」とか、
「それで問題が発生しないのか?」という前向きな目的・目標が基準でないと判断できないということで、
そういう見方を持ってみようということかな。


どうしても気になることがあるなら(それがどんなことだったとしても)、
しっかり話し合うことが必要で(当然ながら意見の違いはあるだろうが)、
そこに向き合えない相手だと(そもそも話し合いに応じないとか無視するとか)したら、
妥協も・尊重も・ゆずり合いも何もないよね。

「一緒に」という観念がそもそもないのだから、
向き合うことができなくなったら真剣に考える必要はあるとは思う。


「夫婦での魂の学び」とは、我慢するということではなく、
向き合う・向き合わないの感情論をどうするか?ということになる。