おじいはスピリチュアルに関して
色々なことを教えてくれましたが、
スピリチュアルを
「精神的安心」のために求めるのか?
何かしらの理想を叶えるための
「ツール」として求めるのかを分けています。
分かりやすく言えば、たとえば神社に行って
「ご利益ありそう」と心がワクワクするのは精神的な価値で、
それと「何かが叶うこと」は別プロセスの話であり、
スピリチュアルを求める「目的の混在」が結果を左右します。
そこでおじいが言うスピリチュアルの現実的な活用価値は
「ご縁が起こせるかどうか?」であると言います。
おじいが何度も言うように「棚から牡丹餅」的な感じで
いきなりすべてが叶うことはない一方、
チャンスや成功へのきっかけは
「人を介してくる」のが現実世界のルールだからです。
そうなると「どうしたらご縁を起こせるのか?」が
スピリチュアルにおける現実的な落とし込みになりますが、
ではどうしたら起こせるのでしょうか?
確かに昔から「いきなり夢が叶った」
みたいなエピソードはたくさんあるけれど、
それは「いきなり(出会ったご縁で)夢が叶った」ということで、
必ず「人」が介在しているんだよね。
たとえばスティーブ・ジョブスが
あの会社をスタートして順調に成果を出せたとはいっても、
彼に可能性を見出してヘルプしてくれた「人」がいたからだよね。
そしてユーザーたちとのご縁があったことも無視できない。
世の中というのはそういうことなんだよ。
奇跡的と思えるものには必ず「人」が関係している。
ここで大切なのは、なぜその人が彼に可能性を見出したかということ。
神様のお告げで「ジョブスに会いに行け」というわけじゃないよね。
彼の話を聞き、彼のニーズがわかったから可能性を感じ、
「お願いします」「かしこまりました」となったわけだ。
あとは両者にとってwin-win がどこにあるのかを考えればいいだけで。
ということは、理想を叶えるための「ご縁の起こし方」とは、
まず自分の理想をしっかり把握してしかるべき人たちに伝えること。
そうすれば「良き理解者」が現れる。
そのリクエストは神様が聞いているのではなく
「誰かが」聞いてくれるからだ。恋愛も結婚もそう。
次にスピリチュアルを知らなくても成功できる人はいるワケで、
そこに「スピリチュアル」はどう関係してくるのか?
それは「当人の精神性」が何んなのかだ。
そもそもスピリチュアルとは、
自分の精神性の内容やジャンルを把握するためにある。
その精神性の内容は人によって違うが、
共通しているのは「私は○○を大切にしたい」という
不可視でありながらも当人にとって実態化している「想い」にある。
その精神性を尊重してくれるかどうかが「ご縁を起こす要因」であり、
そこがズレたらご縁はご縁でなくなる。わかるかな?
「自分が一体何を大切にして生きていきたいのか?」を
スピリチュアルなことから知れたら、
それはスピリチュアルの価値もあるというものだよね。
ご縁や「叶う」は信仰心の問題ではなく、
自分がどう在りたいのか?だから。
それを理解してくれる人こそが本当の「ご縁」だとわしは思うよ。