「愛と調和で生きることが大切だと言われたり、
読んだりするんですけど、愛と調和に生きるってどういうことですか?」
という質問を受けることが多々あります。
たしかに愛と調和に生きることは大切ですよね。
総じて、愛と調和に生きるとは、
「自分も他人も幸せになる生き方をする」ということで、
皆さんもよくご存知のことと思います。しかし、
「自分が愛と調和に生きていることはどうやって分かりますか?」という質問もあります。
愛と調和に生きることが大切で、その理屈や意味も分かったけど、
自分がその状態にあるのかどうかをどうやって判断したらいいのか?ということです。
たしかに、意識していても、
それが本当に愛と調和に生きているのか否かが分からなければ、
意識している意味がありません。
また、この質問の本質は、「愛と調和に生きる」とは気持ちの問題なのか?
それとも、何か具体的な違い(効果)があるのか?ということでもあります。
どうなのでしょうか?おじいの考えはこうです。
「愛と調和に生きること」はスピリチュアルで本質でもある。
愛と調和に生きているかどうか?とは、自分らしく生きているかどうか?
わしの視点で言えば、人生軌道を生きているのかどうか?という意味でもある。
判断基準は2つある。
その判断基準の2つとは、気持ち面と具体面の両方だ。
今回は1つ目について。
それは、「穏やかでいられるかどうか?」だ。
そもそも「愛と調和に生きる」とは、
壮大で崇高な愛のエネルギーと自分がブレンドしている状態のことだから、
自分のエネルギー(醸し出すエネルギー)も大きくなる。
もっと言えば、器が大きくなる。
では、器が大きくなったらどういう価値観や意識を普段から持つだろうか?
その答えが、当人にとっての「愛と調和で生きていること」の判断になる。
それは人によって違うだろう。
だから、自分にとってのそれが大切だ。
分かりやすい変化は、「対外的なことに対しての感情的反応」だろうね。
簡単に言えば、いちいちイラつかなくなったとか、気にしなくなったとかね。
ただ勘違いしないで欲しいのは、絶対にイラついちゃいけないと決めつけないことだ。
例えば、イヤなことをされたら「イラッ」とするのは自然な反応だ。
問題はそれをどう処理するかだ。ここがポイントになる。
さらに大切なことは、最初から完璧を目指すのではなく、
前の自分から変化しているかどうか。
つまり、前の自分と比べて器が大きくなっているかどうか、だ。
他の誰かと比べる必要はないよ。
こう考えると、もしかしたらこう思うかもしれない。
「それって年の功ってこと?」
そう。年の功で「落ち着いた」とか「やさしくなった」とか言うが、
それも愛と調和に生きている立派な証拠だ。
「愛と調和で生きるためにはスピリチュアルを知らないといけない」ということはない。
もちろん、スピリチュアルを知ることが功を奏するなら、有りだよ。
愛と調和で生きることが分からないと思うならば、
ちょっと現実的な視点で考えてみるといいかもしれない。
少なくとも、愛と調和で生きるとは、霊者とつながったり、
目に見えない存在とやり取りできることを意味しているわけではないから。
ただ、そういうつながりによって
「自分も他人も幸せにできる生き方」ができるようになるなら、それは有りだ。
何が目的か?それを意識するといいと思うよ。