数年前に書き留めていたおじいとの対話のメモが出てきました。
愛と愛情について書かれていたので、紹介します。
インスタやブログでも紹介してきた「愛はエネルギー、愛情はパワー」
というおじいのコトバは記憶にあったのですが、
そのコトバが出てきたときのおじいの教えです。
愛は魂の成分だから、誰でも愛というエネルギーを持っている。
ま、厳密に言えば「持っている」と言うよりも人間は「愛の存在」なのだがね。
でも、持っているだけでは何も効果が生まれない。
お金と一緒だね。
一生懸命働いて生活費を確保したけど、
支払わなければ次がないのと一緒で、愛も使わないといけない。
愛はそのままでは何も形を成さない。
電気は駆動させて電力になることでエアコンが動くように。
この「駆動させる」という行為が「愛情」になる。
つまり「与える」ということ。
じゃあ、愛をどうしたら愛情に出来るのか?(与えることができるのか?)
わしは常々「愛情」という日本語は本当によくできたコトバだと思う。
なぜなら「情け」が含まれるから。情けとは「相手の必要を汲み取る」ことだよね。
そう、愛は他者が求めていることを考えて、自分なりにできることをすることで愛情になる。
その愛情という行為が「Give & Take」の「Give」なんだ。GiveしなければTakeできないから。
でも、愛情に決まりやルールはない。
自分が関わるすべての方々にとって「嬉しいこと」をしてあげることが愛情だ。
別にモノを与えるということではない。
気遣いのコトバ、感謝のコトバを伝えることだって立派な愛情だ。
愛はエネルギーであり、愛情はパワーだ。
エネルギーはパワーに変換しないと意味をもたない。
スピリチュアルや自己啓発に興味がある人は皆、
「他者への関心」を払う意識が高く、貢献意識も高い。
でありながら、とても真面目だから、
「自分はまだまだ」とか「私は何もいいところがない」と自分の能力を謙遜する。
謙虚は良くても、謙遜は意味がない。
いいか、誰でも良いところを持っている。
誰でも愛ある存在であり、愛に包まれている。
そしたら、何でもいいから与えるアクションを起こすんだ。
それだけで運は良くなるから。
与える規模は考えなくていい。
「与える」ことが大切なんだよね。